「人からもらったものが捨てられない」時ってありますか?
ある日、片付けで決断できずに、ふと止まってしまった時、これは私の近視のイシューだと気づきました。
近視の人は、自分の問題か人の問題かよくわからない状態になっていることが多い、という境界線不全の問題があるようです。
またその境界線不全由来の混乱からくる、自尊心とか健全なエゴをもつといった問題もあるようです。
そうか。ここを解決すれば、私の視力もよくなる!!
そこで、裸眼で暮らす視力のシータヒーラーの友人に、アドバイスを頼みました。
「ありがとうっていって捨てればいいと思うけれど、何かがひっかかっているので教えてください」と。
いただいたお返事にいたく感銘を受けたので、ここでもシェアさせていただきます。
もしかしたら、近視で、または同じテーマを抱えている人がいるかもしれません。
ブログでのシェアに快く OKをくださった Yさんありがとうございます。
『誰でも一番迷うのがそれです。
いらないのに持っているのは、ホントに意味がありません。
くれた時の相手の気持ちを考えてしまったりしますが、”いらない”のが事実。
物はいらないんだから捨てても気持ちはちゃんと受け取ってますよね?だから OK.
くれた相手が、持っていてくれてるのを期待する、これが最悪!
こちらは、持っていたいほどの相手の持っていたいほどのものだったら持ってますが、もうそれはそれぞれの判断なわけで。
義母が最悪。
低低低波動ハンパない彼女は、捨てられないのは当たり前で、あげたものも干渉する。
マイナス波動伝染。
私はスパッと気持ち良く切っています笑笑
手作りだろうと捨てます。
一見ひどいようですが、持っていたくないものは持っていたくない。
持っていたいものは、どんなにセンスのないものでも、持っていたい。
いらないのになぁ、と思っている時点で、循環は悪くなります。持っている意味がなくなる。
いただいた、ということに感謝するのはもう自然にできているはず。
それだけで十分なんです。』
そうか、私の問題は、物ではなかった。
くれた相手が持っててくれるよね、という期待や干渉するエネルギーに飲み込まれることなく自分のフィールドを護る、という自立心とか自尊心に関わるところ(第3チャクラでもあります)だと、明らかになったのでした。
そう思ったら、物を捨てるかどうかの観点が、明快になりました。
ありがとう! Yさん、そして様々な想いで私にいろんな物をくださった方々!
そして、メガネなしライフをしよう、という私の願望実現がまた一つ進みました。