先日ある方から、この記事をきっかけに、宝石をお求めになったとご連絡いただきました。
よかったら、是非お披露目してください!とご連絡してお会いすることになりました。
その方はシータヒーラーさんで、ご自分の宝石の浄化もなさいます。
手元に届いたばかりの、その宝石を浄化していくところに、少し立ち会わせていただきました。
鉱山から掘り出され手元までにくるまでの流通経路で、その宝石に触れたり、関わった人々の想念エネルギーが光に返っていきます。
また、宝石に対する社会の集合意識も宝石自体にのっているので、宝石が重たくなっているね、という話もでました。
宝石に対する人々の集合意識とは、歴史的に多くの人達の想いが集まって生まれたものです。
私に観えたものは
富と財産の象徴、
社会的な特権的地位の象徴、
宝石を持つ人々と持たざる人々の憧れと嫉妬と執着、確執、渇望、
特別なパワーへの欲望、etc.
その男性ヒーラーさんには、それらのエネルギーは不要な重さとしか感じられなかったご様子で、どんどん光に返していきます。それらの集合意識に全く影響をうけることない方なのだな、と改めて感じました。
宝石も、だんだん本人(本石?)らしくなってきて、のびのびと生き生きとしてきました。
のびのび生き生きすると、本領発揮して輝くのは、人間だけではありません。
キレイな宝石で、枠のデザインも一目惚れって仰ってたけれど、
ホント、とてもお似合いデス。。
『あなたのなかの宝石を輝かせよう!』
宝石の美しさは比類がなく、人の霊的な成長とか、魂の本質の美しさといった眼に観えないものを表現するには、本当にふさわしいです。
どちらも磨いていく様々な道のりがあるのも、これまた同じ。
宝石には、富や財産の象徴、社会的な特権的な地位の象徴といったイメージが強くあるのは、現代日本に限ったことではありません。
けれども実際のところ、それらの集合意識は、宝石本来のエネルギーをくすませる重たさになりますし、それらの意識で宝石をもつことは実はその人の輝きをもくすませることにもつながります。
虚飾と美の違いというのでしょうか。人がより健やかな喜びにむかうか、渇望に向かうか。
飲んでも呑まれるなというのは、お酒だけでなく、富や財産、社会的な地位なども同じなんですね。
その後、自分の宝石との関わりを見直しています。
自分の本質を輝かせようという人が、宝石に対する集合意識に影響されることなく宝石を身につけられたら、どんな調和の喜びが生まれるだろう。
またそんな喜びの方々が増えてきたら、どうなるだろう。
知人達にそんな想いを話すと、実はずっと宝石ってお金持ちや特権階級の象徴じゃないはずだと思ってた、同じ感覚の人がいて嬉しい、などと言われたりしました。
宝石を求める人たちとをお繋ぎする場をつくろう!
強い想いが湧いてきました。
宝石は美しいです。
そして美は、霊的な成長の栄養になる、と私は信じています。
もし、上にあげた集合意識への反感から宝石には近づかないという方は、お金の付き合い方にも通じるかもしれません。(これは、マルチプルアバンダンスのサポートが有効です!私たちには思いもしないような記憶が前進を妨げていることは、本当によくあるようです。)
宝石の浄化や、リフォーム、購入など、ご相談承ります。
また自分が、何かにとらわれてどうしても苦しいのは、解放の時期がきている合図かもしれません。そんな時はセッションがお役にたちます。
どうぞお気軽にご相談ください。