大嫌いだった言葉、大好きだった本。
世界にたくさんの言葉やたくさんの本があるなか、自分にとって心に残っているということは、自分にとってとても特別な、自分の人生のためのキーワードだというお話。
これはよくあることだけれど、
ポイントは、その特別なものの意味の全貌が自分に明かされるまでには、人生の歩みと成長という準備がいる、ということ。
これを最近続けて体験しました。
魂の切望〜この人生で魂がやると決めてたこと〜は、様々なカタチで鐘を鳴らし続けてくれるんですね。
そんな体験から、今回は、大嫌いだった言葉編。
それは母の口癖で、私が大嫌いだった(感情的に反応していた)ものです。
「よらば大樹のかげ」 一般的にはいろんな意味にとれる言葉です。
私は、この言葉に対して、これまで反発エネルギーをもって、誰かや何かに依ることなく自主独立を大切にして生きていきたい、という強固な信念をもっていたのでした。
(そう思っていると、「依る」「依られる」ことをたくさん体験しているので、やっぱり人生は信念によって創られます。信念を変えると人生に現れてくるものも変わる仕組みは、スピリチュアルでもよく言われますね。)
さて先日、『キリスト意識に触れる』というエネルギーワークを体験しました。
ここでいうキリスト意識は、キリスト教とは関係ないものです。この時空間を創造した天上の存在達の意向に沿うようにと、人々に働きかけている意識のことを示していました。
シュタイナーで、進化する人間の望ましい意識の在り方としていわれているものに通じるとも感じました。この世界には、堕落の誘惑はたくさんありますが、中庸さをもつこのキリスト意識こそ、人類の進化を導く、というものです。
そして初めて『キリスト意識に触れる』ワークを体験して、言葉にならない安らかさと守護を感じました。信頼感と安定感に包まれ、何も恐れることはない。
そして、その時の自分の気持ちにぴったりするのは、まさに『よらば大樹のかげ』だな、と思ったのです。
じ〜んとしました。
いままで、その言葉に、時には自分の行く手を阻むかのように感じたり、意固地になったり(確かに現実的な生活レベルで、世間並みの仕事や人生をという集合意識的なプレッシャーは実際あったので、感情的に反応してたのも事実ですが) なんだかんだ言って、自分のなかで特別な言葉だったのです。
それがまさか、自分にとって、キリスト意識に導かれ、繋がるキーワードになったなんて。。
母は、世界の誰よりも嫌われ役、憎まれ役になることも厭わないくらい、子供を育て成長させる役割を引き受けてくれています。
それをまた、改めて実感した日にもなったのでした。
以来この言葉は、私にとって、キリスト意識にアクセスするときのキーワードと化しました。
いま、大嫌いだとしても、この先自分の成長で、何がどう変わるかはわからないから、自分にとって特別なものは、意味が明らかにされるその日がくるまで、急がず大切にしておいてもいいんじゃないかな。
学びが得られるまでは、違うカタチで何度でも、もどってくることはよくあることだから。
シータヒーリングセッションでは、そんな学びと癒しがおこります。
その2 大好きだった本に続きます。