初めてシータヒーリングセッションを受けた日のことは、今でも鮮明です。
自分のなかで行き詰っていた、ある人間関係について相談に行ったのでした。
そこでは、「あなたにとって、その人がどういう役割を果たしてくれていますか?」とひたすら自分のことを問われました。
導かれる中で、私のなかからでてきた奥底の本音を自分で聞いて
そうか、それが私の求めていた学びだったのか、
私はそんなことを思っていたのか〜としみじみしていたら、
「ではあなたがその学びを得るために、その人が果たしてくれていた役割から、その人を解放してあげてもいいですか?」
その日、最もショッキングな言葉がこれでした。
そんなイヤな憎まれ役を、私の学びのために果たしてくれていた
私が学ぶに気づくまでずっとずっとそばにいてくれて、必死に苦しい悪役をやってくれていたんだ
どれだけ私を大切に思っていてくれていると、そんなことができるんだろう
つらくて可哀想なのは、私じゃなくて、あちらさまだった。。。
私が、ずっとずっとその人を縛り付けていたんだ。。。
あ、本当に本当にごめんなさい、ありがとう、ありがとう、
一人勝手に悲劇のヒロインをやっていた自分の姿に突然気づいて、もう恥ずかしさマックスで、一気に目が覚めたのでした。
この恥ずかしさマックス体験(こっぱずかしいとは、まさにこのこと)は、以来ことあるごとに、私のなかで戻るポイントになっています。
ヒーリングセッションはすばらしく強烈な教育的体験でもありました。
「私は◯◯が嫌い」と思った瞬間に
「◯◯が、私にとって果たしてくれている役割はなんだろう」
と自分のなかをみる方にスイッチがはいるようになったのです。
この◯◯には、対人関係にも使えるし、物や事(病気や事故も)にも自分が使えると思えば使えます。
で、自分の学びに気づき、◯◯をその役割から解放してさしあげるのは、
自分のなかのスペースが広がるんだともわかるようにもなりました。
(ポジティブに使えるエネルギーが増える、とも選択の自由が増すとも、思っています)
他にも目からウロコの、強烈な初シータヒーリングセッションでしたが、
まもなく、シータヒーリングを自分でやる方向(セミナー受講)に舵をきったのでした。
そして、この日実感した
ヒーリングって甘い甘い慰めではなく、深い愛による目覚めを促す癒し
というのが、私のヒーリングの原点になりました。