『汚名をはらす』について書いてとお題がでました。
誰にいわれたかよくわからないけれど、きっと私の魂のなかにある課題なのでしょう。
(今 台風が来ているのと関係あるのかな??)
『汚名をはらす』
不本意なとられかたをした。不条理な扱いを受けた。無慈悲な体験にあった。
魂がめためたに傷ついていると本人は感じています。
(シータヒーリングには魂の再創造というワークがあります。私自身も何度かそのワークをやる流れになったことがあります。
補足:シータヒーリングでは、このワークを含め全て創造主がやるようにいったり、今やった方がいいか聞いてyesと来た時にコマンドをします。自分の好きに何かのワークをやるのは、ちょっと違います)
自分の神聖さや本質が穢されたという悲しみと怒り。慟哭と恨み。憤りと絶望。
『名が汚された』名とは本人にとって大切な自分の象徴です。
だから、バランスをとりもどそうと必死になります。
周りの人達の見方を変えたい。見返したい。
『汚名返上』
だから私たちはいろんな手段をとります。
たくさんのドラマが生まれます。
けれども、『汚名をはらしたい』の一番奥にあるものは、
『自分は神聖なる存在だ』『自分の本質は輝かしい』
ことをもう一度、自分で思い出し、取り戻したいという願いです。
その願いをかなえるためには、自分についてしまったと感じている汚れをとることです。
鏡の前で、顔に汚れがついているのに気づいたら、鏡をふくんじゃなくて自分の顔の汚れをとること。
そんなの誰だって知っている当たり前のことですが、
人間関係で汚名がついたと感じたときは、私たちは周りにあやまれとか周りに変わってほしいと思いがちです。
汚されたと感じているのは、世界でたった一人自分なのです。
だから周りには、汚れが見えなかったりすることもあるのです。
余計、わかってくれない!!と怒りがあふれます。
自分が汚れたと感じたことが、今回の人生ではないときにおきたこともあります。
汚されたと感じているのは自分なのだから、晴れて軽やかになったと自分が感じるまで、
キレイにしていくのをクリアリングというのだと、
浄化というのだと、
スピリチュアルヒーリングではいっています。
disgrace(不名誉) からdis がとれたら grace (優美さ)。
そして人間関係で傷ついたことは、人間関係でいやされるのだと、
私たちはそうやって、お互いに色んな役をやりながら、学びあって助け合って
癒しあってクリアーになって、本来の願いを実現して光り輝いていくのだと、
『汚名をはらす』は教えてくれました。
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スピリチュアルヒーリングって、願望を実現して幸せな人生をっていうけれど、
本当ですねえ〜 と書いてて実感しました。
お役に立てば幸いです。
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ヒーリングセッションを受けて、少しずつ癒やされていくというのもあるのだけれど、今日の記事のような魂レベルの癒しに働く宝石や植物オイルにいくつか出会って、効き目に感じ入っています。
前世などの話になると人により信じる信じないもあるし、原因が前世かどうかはどうでもよくて、自分の不調が治って人生好転していくのならそれでOKだという方々に、お見立てして宝石やオイルを選んで日常生活に使っていただいて(そのなかで気づきや感謝が生まれてくると誰でも変わっていくから)お役に立つなら、それはいいんじゃないのかな、と最近感じるようになりました。
そんな方への新メニューもただいま準備中です。