「修破離」(しゅはり)」は 古典芸能や武道の世界で使われている言葉。
芸や道、物事を学ぶときの基本姿勢で、馴染みがある方もいらっしゃるかもしれません。
まずは教えを忠実に「修」めなぞらえ、次にその教えに工夫を加えて「破」り、最後に教えから「離」れた境地に至る・・・という。
わたしがヒーリングに出会った時、無意識に憧れていたのが「癒そうとしてないヒーラー」でした。
癒やしの世界に興味をもった時、勉強して技術を磨いていいヒーラーになろう〜という過程はわかりやすいのですが、何故そんな屁理屈みたいなことをいうかというと、
それが修破離にあります。
ヒーリングに出会う前に音楽活動をメインにしていた頃、諸先輩がたにいわれて大切に、そして取り組みながらもがいていたことが、やはり『演奏中は、
そして、弾こうとしてない演奏への道のりと、癒そうとしてないヒーラーの在り方に至るまでの様々な道のりって同じなんだな、と思ったら、
これ私の願望実現への道のりだったんだ!
とふわ〜っとあたたかくなりました。
私たちにはいろんな願望があるけれど、叶って初めて自分で気づく願望実現の仕方もあるようです。
人が何かを身につけるまでには、修・破・離などと様々な段階があるもの。
どのステップも尊いし、どこも飛ばすことはできないんだな、と思います。
春夏秋冬みたいですけれど、どれも愛おしい本人の時間。
だれもが無意識に自分の目指していることを引き寄せながら、人生を進んでいる。
そして世界はどの瞬間も美しい。苦悩や絶望に満ちた瞬間も全て。
だからこそ、自分が何を望むのか尊重するのが大切だと思うのです。