「修破離」(しゅはり)」は 古典芸能や武道の世界で使われている言葉。

芸や道、物事を学ぶときの基本姿勢で、馴染みがある方もいらっしゃるかもしれません。
まずは教えを忠実に「修」めなぞらえ、次にその教えに工夫を加えて「破」り、最後に教えから「離」れた境地に至る・・・という。

 

 

bul_027わたしがヒーリングに出会った時、無意識に憧れていたのが「癒そうとしてないヒーラー」でした。

癒やしの世界に興味をもった時、勉強して技術を磨いていいヒーラーになろう〜という過程はわかりやすいのですが、何故そんな屁理屈みたいなことをいうかというと、

それが修破離にあります。

 

 

ヒーリングに出会う前に音楽活動をメインにしていた頃、諸先輩がたにいわれて大切に、そして取り組みながらもがいていたことが、やはり『演奏中は、バイオリン弾こうとしない!』でした。

修得するには練習がいるけれど、修得を目指すのではなくその先に進む。
演奏技術はどんどん高度になるし、いつまでたっても弾かないなんてできるようにならないなあ。。芸は果てなき道〜と思ってました。
 
ふと先日、セッションや音楽レッスンで、「癒そうとすること」「教えようとすること」「演奏しようとすること」からすっかり離れて、クライアントさんや生徒さんが変化していくのに立ち会っているのに気づきました。

 

そして、弾こうとしてない演奏への道のりと、癒そうとしてないヒーラーの在り方に至るまでの様々な道のりって同じなんだな、と思ったら、

これ私の願望実現への道のりだったんだ!

とふわ〜っとあたたかくなりました。

 

 

私たちにはいろんな願望があるけれど、叶って初めて自分で気づく願望実現の仕方もあるようです。

 

人が何かを身につけるまでには、修・破・離などと様々な段階があるもの。

どのステップも尊いし、どこも飛ばすことはできないんだな、と思います。 

春夏秋冬みたいですけれど、どれも愛おしい本人の時間。

 

だれもが無意識に自分の目指していることを引き寄せながら、人生を進んでいる。

そして世界はどの瞬間も美しい。苦悩や絶望に満ちた瞬間も全て。

 

だからこそ、自分が何を望むのか尊重するのが大切だと思うのです。