ある日、古事記のなかにある、草薙の剣が活躍したり、焼津がうまれたエピソードに出会いました。
故到尾張國入坐尾張國造之祖美夜受比賣之家乃雖思將婚亦思還上之時將婚期定而幸于東國悉言向和平山河荒神及不伏人等故爾到相武國之時其國造詐白「於此野中有大沼住是沼中之神甚道速振神也」於是看行其神入坐其野爾其國造火著其野故知見欺而解開其姨倭比賣命之所給嚢口而見者火打有其嚢於是先以其御刀苅撥草以其火打而打出火著向火而燒退還出皆切滅其國造等即著火燒故於今謂燒遣也
(ご興味のある方はどうぞ。私には難解だったので〜現代訳と照らしながら読みました。)
焼津にちなんで、右の写真はwikiの焼津のページからお借りしています。
そのなかで、次の一節が目に飛び込んできました。
『悉言向和平山河荒神及不伏人等』
「書き下し」山河を荒ぶる神及び伏(まつろ)はぬ人等を悉く言向和平(ことむけやはす)
う〜ん、響きます。
ところで『悉』最初の言葉なんでしたっけ〜そんな私のお仲間にシェアします。
大辞林 第三版の解説より
ことごと【悉】 [音]シツ(漢) [訓]ことごとく( 副 )〔「事事」の意〕
言向和平(ことむけやはす)
相手に言葉を向けて その場に和平を創る。
自分の言葉がどこを向いているか〜相手にむいて届いているかしら。
自分の言葉の向いた先は、何をもたらしているのでしょう。
ところで やわす〜和す を体感したのいつだったっけ。
和平、平定と抑圧とは違います。
平熱みたいに健康でバランスがとれていること、それが和なのでしょう。
悉言向和平(ことごとくことむけやはす)
ことごとくなんて、カッコいいなあ〜と思うけれど、
まず、今自分にできることをするのは、どんな時でもできること。
自分の身体や心に何か痛みを感じたら、その痛みに対して言向和平(ことむけやはす)って
すごくクリエイティブなことなんじゃないかな、と感じたのでした。
自分のクリエイティブなチカラを発揮して未知なる和平を創るなんて最高!