初めてシータヒーリングセッションを受けた日のことは、今でも鮮明です。

自分のなかで行き詰っていた、ある人間関係について相談に行ったのでした。

 

そこでは、「あなたにとって、その人がどういう役割を果たしてくれていますか?」とひたすら自分のことを問われました。7309213060_d585413262_m

導かれる中で、私のなかからでてきた奥底の本音を自分で聞いて

そうか、それが私の求めていた学びだったのか、

私はそんなことを思っていたのか〜としみじみしていたら、

 

「ではあなたがその学びを得るために、その人が果たしてくれていた役割から、その人を解放してあげてもいいですか?」

その日、最もショッキングな言葉がこれでした。

 

そんなイヤな憎まれ役を、私の学びのために果たしてくれていた

私が学ぶに気づくまでずっとずっとそばにいてくれて、必死に苦しい悪役をやってくれていたんだ

 

どれだけ私を大切に思っていてくれていると、そんなことができるんだろう

つらくて可哀想なのは、私じゃなくて、あちらさまだった。。。

私が、ずっとずっとその人を縛り付けていたんだ。。。

あ、本当に本当にごめんなさい、ありがとう、ありがとう、

 

 

一人勝手に悲劇のヒロインをやっていた自分の姿に突然気づいて、もう恥ずかしさマックスで、一気に目が覚めたのでした。

 

この恥ずかしさマックス体験(こっぱずかしいとは、まさにこのこと)は、以来ことあるごとに、私のなかで戻るポイントになっています。

ヒーリングセッションはすばらしく強烈な教育的体験でもありました。

 

「私は◯◯が嫌い」と思った瞬間に

「◯◯が、私にとって果たしてくれている役割はなんだろう」

と自分のなかをみる方にスイッチがはいるようになったのです。

 

この◯◯には、対人関係にも使えるし、物や事(病気や事故も)にも自分が使えると思えば使えます。

 

で、自分の学びに気づき、◯◯をその役割から解放してさしあげるのは、

自分のなかのスペースが広がるんだともわかるようにもなりました。

(ポジティブに使えるエネルギーが増える、とも選択の自由が増すとも、思っています)

 

他にも目からウロコの、強烈な初シータヒーリングセッションでしたが、

まもなく、シータヒーリングを自分でやる方向(セミナー受講)に舵をきったのでした。

 

そして、この日実感した

ヒーリングって甘い甘い慰めではなく、深い愛による目覚めを促す癒し

というのが、私のヒーリングの原点になりました。