ELLY99_pinkironohasunohana500-thumb-260xauto-3646月1回活動しているアカペラコーラスグループ・アンサンブルジュピターで、主催&音楽指導をさせていただいています。

といっても、私はヴァイオリンを弾き、他の方のアカペラの歌声と一緒にアンサンブルしているというカタチをとっています。(これは、状況に対応していたら生まれてきたスタイルで、例えばオーボエが1本足りない時は、オーボエパートをクラリネットでやってもらえるかな〜といったものと同じ発想です.)

 

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アンサンブルジュピターの活動は 月1回です。

次回は 2015年1月13日(火) 10〜12時 横浜市綱島地区センターにて

1回2000円です。

ご興味のある方は、どうぞご参加ください。心から歓迎します♪

うまいうまくないは誰も問いません!

(参加ご希望の方は、楽譜の用意等あるので、事前にこちらのお問い合わせフォームでご連絡ください)

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さて、『正しいと正しくないについて』先日、こんなことを感じました。

アンサンブルジュピターでは、いわゆるクラシックやお馴染みの曲の、きれいでちょっと凝った編曲ものを歌っています。

練習では、楽譜と違う演奏をすると設計図と違ってしまうので、そこは正しくないという指摘をします。

特にアンサンブルの時は、建築物のように緻密に創られているので違うと構築できなくなってしまうからです。簡単な例えでいうと、3拍子の曲で、ある人が1小節だけ勘違いして4拍でうたうと、全体がずれちゃうので、正しく歌いましょうといった具合です。

なので『楽譜通り』を目指すのです。

『楽譜通り』というと『正しい』に結びつきます。

その上で、

正しい表現って無限にあるということ。

1つじゃない。

人により、そしてその時により毎回違う〜正しさにのっとっているなかで、限りなく自由にうたう。

そして、自分の制限をどこまではずし、のびのびとひらめきのなかで自分が何をいかに表現するか。

そんなしなやかさと喜びを一人一人が満喫し、音楽が生まれていくのは、本当に楽しい美しいひとときでした。

うまいとかうまくないではなく、全員一人一人が対等に自由に創っているからアンサンブルが生まれる。

私たちは教育のなかで学んだ、×の反対は○というのを、独特の思い込みで、自分の制限にしてしまっているかもしれない。

また表現の自由というと、何でもありというと、大切なことから外れていって堕ちていくというのも確かにある。

窮屈でもなく、野放図でもなく、自由な表現って神聖で無限だな、と感じたのでした。