「心が折れそう」とか「心が折れた」という表現を使いますか?
つい先日もおしゃべりしていたらこの言葉がでてきて、そういえばあちこちで使うひとがいるなあ〜と思ったのです。
英語のハートブレイクとは、ちょっとニュアンス違うように私は感じるけれど、いかがでしょう。
心は目に見えないのに、長くて堅く頼りになる芯になるものが折れるときのように感じているのかな、なんて改めて感じます。
木の幹とか、鉛筆とか、軸が折れる。台風で大木がおれるなんて衝撃ですし、橋など人工物だとそれはまた衝撃だし。。
確かに芯という言葉は 草冠に心ですねえ。
ああ、心って私たちにとってそのくらい頼りにしている(折れるだなんて思いもしない)軸になっているって知っているから、使っているんですね。
(右の写真は、伊勢神宮に行ってきたときに出会った長老の木デス)
私たちの軸となり芯となる心が折れそうだったり、折れたりと感じる非常事態は、今までご自身で限界までやってきたという歴史があるということです。
だから、今まで十分よくやってきた、と気づくことが大切。
そして今のままでは、もう一歩もその先に足がふみだせなかったり、何も変わらない時期がきたと気づくことが大切。
心の非常事態には、いろんな対処があります。(例えご自身でそう思えなくても必ずあります!)そのひとつの選択としてスピリチュアルヒーリングはお役にたちます。
シータヒーリングセッションでは、創造主の通訳をするカウンセリング形式をとっています。
お客さまの今までとこれからの両方の時間にはどちらにも価値があること、そして未来のためへの歩みを大切にしています。
今までもこれからもどちらも価値がある、と自分で感じられるのが、シータヒーリングの魅力だと私は感じています。またシータヒーリング以外のいずれのヒーリングメニューもいずれも創造主とつながってもたらされる癒しです。
心が折れたと感じたことが何度となくあったなあ〜と振り返りつつ。
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