シータヒーリング基礎セミナーの演習のひとつに

「サイキックアタックを光に返す」というワークがあります。

霊視をして、その方の身体空間に残っているサイキックアタックを光に返し、身体に害のない状態になるように癒すというものです。

 

サイキックアタックとは、文字通り目に見えない攻撃です。

サイキックアタックは他人の思考形態から生まれます。ある人に対して意図的に向けられたり、または誤って向けられることもあります。多くの場合、送る側の人は、相手に痛みが生じることになるとは想像もしていません。

   書籍 シータヒーリング P327 より

 

いわゆる嫉みや怒りや憤りなど攻撃的なネガティブな思考、または同情、憐れみといった感情的愛着も含まれます。ELL88_hanahirakuyuri_TP_V1

また家族からのものは、馴染みがある分、無防備になりやすいこともあるようです。

家族関係は、お互いに何らかの癒しを必要としていることがある方もいらっしゃるかもしれない、と改めて感じます。お互い人間ですから。。

 

そのサイキックアタックについて、ある基礎セミナーでこんな体験がありました。

「さらさらの粉まみれで人型になっちゃっている。気管支や肺などに細かい粉が溜まっている状態で粉塵被害〜」というリーディングです。

これは、実は私の状態だったのですが、

溜まっているサラサラの粉、これはどんな想念なのだろう、とシェアしていくなかで明らかになったのが、ある種の女子トークのなかに時折みられるような、同情とか憐れみでした。

「かわいそうに〜」「まあ、仕方ないよね〜」といったような言葉で、同じ言葉でもあたたかさを持った思いやりとか愛ある共感とは明らかに違います。

霊的にみると不健康な感情的な愛着です。

一見アクティブな攻撃とは違いますが、相手の自由を奪っていく、確かに、これもサイキックアタックだわ、と改めて実感します。

 

 

自分でどうにもならないこと、かつての自分には痛すぎて封印するしかなかったこと、などが残っていることが、自分が無意識にサイキックアタックを送っちゃうことにも繋がったりします。

自分を癒していくこと、自分を慈しむこと、苦しいときに助けを頼むことは、自分の人生を大切にすることとイコールだな、と感じます。

まずは自分が、サイキックアタックを放たない生活、サイキックアタックから無影響でいる生活を創ろう、と改めて意識する機会になりました。

 

 

この粉塵まみれはヒーリングのあと軽やかに身体があたたかくなって、呼吸が深くできるようになりました。酸素がたくさん入ってきて、深い呼吸ができると、誰もがそうですが、明朗さがもどってきます。ああ、自分に戻ってきた!という感じです。 

 

 

肺は、本来生きている喜びエネルギーを交換をする素晴らしい臓器です。

肺は悲しみを溜めやすい臓器といわれていますが、

悲しみを癒して、生きている喜びを、自分の身体の内側と外側の世界で交換できますように!

 

サイキックアタックやサイキックフックの解消は、またそのようなエネルギーに無影響でいられる状態へのケアを、シータヒーリングのセッションで対応させていただいています。